商事法務研究会賞受賞のことば

12月13日@帝国ホテル東京


みなさま、こんばんは、張韻琪でございます。本日は、このような立派な式を開いていただき、お忙しいなかお集まりいただきまして、まことにありがとうございます。
このたびは、拙著『過失相殺の原理と社会』に対して、商事法務研究会賞の栄誉を賜りまして、大変恐縮に存じますとともに、まことに光栄に存じます。歴代の受賞者は、私が非常に尊敬し、深く啓発を受けている研究者の方々ですので、私が受賞するのは本当に畏れ多いことです。それでも、錚々たる審査員の先生方にお読みいただいたことを思うと、民法研究に更に励む勇気もいただきました。

さて、この本の出版に至った経緯について少しお話をさせてください。私は、2009年に台湾大学に入学し、法学部の学生として民法を勉強しはじめました。当時、法学の三段論法を教わった私は、このテクニックに魅了されて、この論法さえあれば、世の中のあらゆる紛争がきれいに解決され、正義が実現されると思っていました。しかし、大学二年生のとき、不法行為法を学び始めた私は、大いに困惑しました。なぜなら、過失とは何か、違法性とは何か、因果関係とは何か、どのようにしてこれらの法的要件を実際の紛争に当てはめるかについて正解がないようで、なによりも、多くの紛争における原告と被告の主張は、私にとって、どちらも一理あるように聞こえたからです。そのように白黒はっきりするものではないのだということを思い知ったときに、私は過失相殺に出会い、非常に魅力的な制度だと思いました。この減免責の制度は、白黒ではなくグレーの大人の世界に、なくてはならない存在だと感じたのです。ところが、今度は、なぜあるケースでは過失相殺が許されて、他のケースでは許されないのか、相殺の割合はどのように決めるか、そもそも被害者の過失とは何かと、再び迷い始めました。

図書館に入り浸って答えを探してみたところ、台湾人研究者による日本の過失相殺論の紹介が見つかり、具体的な基準を提示してくれる様々な理論に興奮しました。そして、これが、私の、窪田説と橋本説との出会いでした。この台湾の紹介論文によれば、「窪田説」と「橋本説」は、いずれも過失相殺制度を説明するための理論であり、本質的には変わらないとされていました。しかし、同じものであれば、なぜ、2つの理論が必要なのか、法学理論の役割は一体どんなものなのか、そもそも学説を作るという営みがどのような営みなのか。様々な疑問が浮かび、モヤモヤしながら、私は日本に留学しにいくことを決意しました。

大学3年生の時は、京都大学に交換留学に参りました。当時のチューターさんが、大人気の「松岡ゼミ」に連れて行ってくれて、松岡先生が、ろくに日本語も話せない私を温かく受け入れてくださいました。松岡ゼミでの楽しく充実した日々が、さらなる長期留学に励むきっかけとなりました。

その後は、帰国し、長期留学の準備にとりかかりました。その際に、大村先生の「不法行為判例に学ぶ」という本に接して、大変感動しました。理論の発展は、社会の発展と密接に関連しているということに気づかされました。「法と社会」及び「理論と社会」という問題意識は、やがてこの論文の基本的スタンスにつながります。

このような準備を経て、大村先生に指導教員をお引き受けいただいて、私は2014年に東京大学の門を叩き、過失相殺の研究にとりかかりました。研究生及び修士課程の3年間は、日本における様々な過失相殺理論と、その社会的背景との関係を解明することに力を入れました。そのうえで、博士課程の4年間は、過失相殺制度を日本が継受した際に、どのような制度だったのかを解明することと、母法であるフランス法の過失相殺制度史を考察することで、損害賠償法における過失相殺制度の役割を解明することを課題としました。このようにして、7年をかけてできたのが、今回の『過失相殺の原理と社会』という論文です。

論文の執筆に関しては、新旧の指導教官である沖野先生と大村先生に負うことが多いです。両先生は、丁寧に指導してくださり、思考上の盲点を指摘してくださいました。両先生がいらっしゃらなければ、この本は生まれませんでした。また、主査として博論を審査してくださった森田宏樹先生には、日仏の体系的な違いに関する指摘をいただきました。副査の水町勇一郎先生には、フランス法及びフランス社会の20世紀以降の発展に関する貴重な知見をいただきました。副査の田口正樹先生には、フランス史の文献についての貴重なアドバイスをいただきました。さらに、フランス法の文献の選択やフランス法の背景知識については、中原太郎先生のゼミと齊藤哲志先生のゼミで大変お世話になりました。

身近なところでは、大学院時代には、周りに優秀な友人がたくさんいました。博士課程の方々、助教の方々は、研究のコツを惜しみなく教えてくださいました。全ての方のお名前を挙げることができないのが残念なのですが、この論文は、日本の民法学界の方々が力を合わせて誕生させたものです。

さきほど少し申し上げました通り、論文の主な関心が社会と法理論の関係にありますので、日本社会を理解しなければなりません。これにはかなり苦労しましたが、幸い、留学のおかげで、自分自身が日本社会に身を置くことができました。印象深いエピソードがあります。とある助教の方に会うたびに「ちゃん、論文は順調?」と聞かれていました。私は毎回、「順調です」と元気に答えていました。ある日、その方が、「ちゃん、実は、日本人はあまり、『順調です』とは言わないのだよ、難しい顔をして、ええ、まだまだやらなきゃいけないことが多いけどな、とだいたいの日本人はいうのだよ」と教えてくれました。これをきっかけに私は、「みんなの話し方を観察する」という趣味を持つことになりました。ですから、たとえば、東大の判民に参加する際には、話の内容がわからないときでも、皆様の喋り方を楽しく観察していました。これはかなり身近な例ですが、そのような訓練の成果もあってか、日本語の資料、たとえば、法制審議会での議論や研究論文の内容を、それまでよりも正確に理解しできるようになったと思います。これは、自国にとどまって資料だけを読んだだけでは、絶対にできなかったことだと思います。

このようにして、この本は、日本で20代を過ごした私の民法旅行記のようなものです。台湾から日本に渡ったうえで、さらに、日本法の100年、フランス法の200年を行き来し、台湾人の視点から、日本・フランスの社会、日本・フランスの法の間を行き来する大冒険の旅でした。この素晴らしい民法旅行を体験させてくださった皆様に、そして、旅行記を読んでくださった皆様に、心よりお礼を申し上げます。この旅行記が、少しでも日本の民法学に貢献できたら嬉しく思います。

2021年に台湾に戻ってからは、日本と全く違う文化の下で、カルチャーショックを経験しながら、民法旅行を続けております。たとえば、現在台湾の債権法改正の法制審議会の委員を務めておりますが、日本の法制審議会とかなり違う雰囲気です。台湾に戻った後も、留学している感覚が続いていますが、今後、台湾と日本の間の架け橋になれるよう、また、民法学と社会の間、過去の社会と現在の社会の間の架け橋になれるよう、努めたいと思っております。

 


今後とも努力を続けてまいりますので、ご鞭撻・ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。このたびは、商事法務研究会賞をいただき、誠にありがとうございました。